だるま日誌

広島県福山市でひきこもり,ニート支援の仕事をしてます。日々思うことや面白かった本についてなど書いてみます。

生きづらさの正体④

何か忙しくて1年近く放っておいてしまいました。

なんとなく余裕もできたので,ブログを再開していきます。

 

生きづらさの正体④「普通がわからない」

 

世間が求める「普通」の基準は過去最高値を叩き出しています。

テクノロジーが進化して人間一人一人にできることが増えてきているので,それらを使いこなす能力を求められるのは仕方のないことなのかもしれませんが,それにしてもできなきゃいけないことが増えすぎな気がします。

 

できないことがあると「普通じゃない」「劣っている」というレッテルを貼られてしまうのですが,そもそも歩んできた道が違うのだからできることできないことに個人差はあって当然です。

自分にできることは相手もできて当然という考えなんでしょうか。傲慢なんだか謙虚なんだかわかりませんね。

 

人の数だけ「普通」はあります。僕は自分自身を普通じゃないと思っているので,人に「普通は~」と言わないようにしているのですが,日本にはこの「普通教」信者がたくさんいるみたいで,よく入信を迫られます。

そのたびに僕は「あぁ…自分が世界になっちゃった人だ…」と迷惑そうな顔をして距離を置きます。せめて「私はこう思う」って話ならちゃんと聞こうと思うんですけどね。

 

 若い人たちが生きづらさを感じている原因の一つとして,周囲の大人の考える「普通」と現代の環境のミスマッチが一役買っているように思えます。

右肩上がりの高成長の真っただ中にいた親たちの世代。

真面目にコツコツ頑張れば給料は自動的に上がっていくし,終身雇用で安定した暮らしが送れるという日本の歴史上初めて訪れた春の季節に身を置けた人たちです。

これは単に生まれた年代だけの話なので,良いも悪いもないのですが,そういう時代を生きてきた親世代と,生まれてこの方景気が良かったことがないという子ども世代では,価値観が違うことは理解してほしいですね。

 

現代社会もなかなかきつい。

薄給激務・長時間労働サービス残業の常態化・非正規雇用の爆発的増加・減り続ける手取り額・労働環境の悪さからくるハラスメントの横行・飛び交う自己責任論。労働の面だけで見ても,若者をとりまく社会環境はハッキリ悪いと言えます。安定という信仰は死にました。

それでも働いて,金を稼いで,生きていかなきゃいけない。しんどいに決まっています。

 

全部上の世代のせいだなんて言いません。僕らも僕らで変えていかなければならないことがたくさんあります。そのために戦うのは僕たち世代の責任です。

ただ,若い人には若い人なりの自分たちとは違った苦労がたくさんあるということを周囲の大人が理解してくれれば,何かが少し変わるのかもしれません。

その辺の歩み寄りからやっていきましょう。