だるま日誌

広島県福山市でひきこもり,ニート支援の仕事をしてます。日々思うことや面白かった本についてなど書いてみます。

ちゃんとすること

ちゃんとしてほしい

僕のところにはひきこもりに悩む親御さんが相談に来るんですが,そのほとんどがひきこもっている本人に対して「ちゃんとしてほしい」という願いをもっています。

 

いろんな思いを込めた結果そういう言い方になるのでしょけど,ちょっと漠然とし過ぎてよくわからないといった印象を受けます。具体的に何をどうしたら「ちゃんとしている」ことになるのか,今は何ができていないから「ちゃんとしていない」のか,具体的に考えたことがある人ってどれくらいいるんでしょうね。

 

実際親御さんに具体的なことを聞いても,「ちゃんとしていない」理由として出てくるのは「働いていない」「他の子と同じような普通の生活ができていない」くらいのもので,大きいくくりでしか現状を捉えていないように思えます。

 

「就職して働き,年相応の生活を送る」

確かにこれができればちゃんとしていると言えるのかもしれませんが,これはひきこもり状態の改善という点ではかなり進んだ段階での話で,いきなりそれを要求するのはハードルが高すぎます。そんなことを希望する以前に家庭内でちゃんとできていないことがあることを親御さんには理解してもらいたいと常々思っています。

 

 家庭での対話

ちゃんとできていないことで一番多いものは家庭での対話です。

相談に来られる親御さんはいろんな希望・願望を僕に伝えてくれるのですが,「それについて本人はどう考えていますか?」と問うてみると大抵「本人とはそういう話ができないので,わかりません」と返してくれます。

将来についての話をするとキレる・いつまでも黙る・席を立つ・泣きだすなど様々なリアクションをされ,会話にならないご様子。そういったことが積み重なって,日常会話もしづらい状況にあるケースも多くあります。

対話がないから相互理解が進まない。時間ばかりが経ってしまい,焦りからキツい物言いになってしまう。人間関係が荒み,対話そのものが難しくなる。ひきこもりに悩む家庭ではそういった悪循環に陥ることがよくあります。

家族と将来についてなどの真面目な話ができない。就職云々よりそっちのほうがよっぽど問題です。まずはお互いにストレスなく話ができる関係を築く必要があります。

 

対話の進め方

 対話にも段階があります。家族なのに話がうまくいかないのは話の進め方,順番を間違えるからです。いきなり本題(就職や将来についての話)に入ってもうまくいきません。耳を塞いだ全力拒否の構えをとられるだけです。

 

僕はひきこもり当事者と話をするときは,まず日々の暮らしの中での何でもない雑談から始めます。

面白かった漫画の話,最近食べた美味しいものの話,いい思い出の話,好きな映画の話,そういった何でもない話を積み重ねて対話する習慣,対話を通した人間関係を築いてから少しずつ本当に話したい話にベクトルを向けていきます。

 

失敗した話,恥ずかしかった話も面白おかしく積極的に話します。

対話の目的は本人の今の思いを聞くことです。自分の思いを相手に伝えることは勇気がいります。怒られないか,馬鹿にされないかといった不安もあると思います。

ただでさえナイーブな人たちにそれを望むのですから,ある程度の恥ずかしさはこちらが先払いしなきゃいけないものだと思っています。悩みや不安,失敗の類は誰にでもあると理解してもらう。先にこちらが恥をかくことで相手のハードルを下げるわけです。こちらが心を開いている証拠にもなるとも思っています。

 

そうやって対話を繰り返し,何でもない会話を山ほど積み上げた先に本音が零れ落ちてくる。それが次の段階への足掛かりになる。そういうものだと思っています。

 

この辺の前段階を「家族だから」の一言ですっ飛ばしてしまうには,ひきこもりにとっての将来の話題はデリケートすぎます。

対話の習慣と関係性を築き,適切な距離感で少しずつ前に進んでいく。実際これしかないと僕は考えています。

 

やっぱり話し相手は必要 

僕のところにやってくる若者たちも何のかんので話し相手,一緒に時間を過ごす他人を必要としています。家族が本人にとっての良き話し相手になってくれれば,状況は変わります。

ちゃんとするとか言う遠くの最終目標を見るのではなく,世間と比べるのでもなく,目の前にる家族とただ向き合う。そういうことを少し考えてもらえたらなと思います。

 

 

サラリーマン生活はきつい

僕のところには会社勤めをしていたけれど,そこで心身の調子を崩して退職。そのままひきこもってしまったという人もよく来ます。確かに今のサラリーマン稼業はきつい。なるもんじゃないとつくづく感じます。

 

僕は自営業の家で生まれ育ったので,家の歴史の中で初めてのサラリーマンになりました。祖父も父も家業を継いでおり,母や祖母はその会社で働くといった就業形態をとっています。

そんな感じなので僕も含め家族全員が「外に勤める」ということに疎く,自分が就職するまではサラリーマンは気楽な稼業だくらいに思っていました。

 

まぁ1次産業従事者や自営業に比べれば,サラリーマンは収穫物の出来不出来や日々の売り上げに右往左往する必要もなく,毎日出社して働けば給料がもらえるわけですから気楽に見えるのかもしれません。

ローンの審査も通りやすいし,僅かながらの昇給やボーナスも見込めます。こういった働き方は「安定」していると言えるでしょう。

 

でも,バブルとともにこの「安定」神話は崩れました。

現代の労働環境はハッキリ悪い。コストカットのために最低限の人数で事業を回している会社が増えてきました。

激務・長時間労働が常態化し,一人ひとりの業務負担が大きくっています。

気持ちに余裕がないから特に人間関係に敏感になり,陰気でべったりとした空気が職場に蔓延しています。

僕の会社でも心身の調子を崩す人は一定数出ていますが,急場の解決策である「人を増やす」すらなかなか実行できていません。回復したら戻ってくるから席を残しておかなきゃいけないというロジックです。強固な雇用制度が仇になっているところもあります。

ただでさえ少ない人員なのに、欠員が出るから更に負担が増す。人員の補充もできないままとにかく業務を回すしかない。その負担からまた欠員が出る。完全に悪循環です。

 

サラリーマンという選択肢は若者にとって最適解ではなくなった。そういう時代になったのだと思います。

サラリーマンははただでさえ制約が多い。

毎日朝同じ時間に起きて出勤しなきゃいけない。みんな同じ時間に出勤するから渋滞やラッシュに巻き込まれる。

さして仲もよくない同僚や気に入らない上司ともうまく付き合っていかなきゃいけないし,仕事のペースや量も自分では決められない。

現場と管理者の相互理解は一生進まないし,愛想笑いにも限界が来る。

これはサラリーマンは無理って人が出てきても全然おかしくない。

 

よくないのはこの状態を苦に思う人に「落伍者」のレッテルを貼ってしまうこと。みんな我慢している。甘えてるだけ。そんな厳しい意見が出てくるかもしれませんが,みんな我慢しているから我慢しなきゃいけないというのもおかしな理屈です。

できることは人それぞれ違う。できないことも当然違う。いわゆる会社勤めに必要な能力が欠けていたとしても,それは足が遅いとか歌が下手とかと同じことで,単に適正に欠けるというだけのことです。人格まで否定されるほどのものじゃありません。

なんだか今は仕事=人生で能力=人格みたいな感じになっているのがおかしいですね。

 

まぁ会社との関係はしょせん金の関係です。金に換えられないもの(家族仲や健康)を犠牲にしてまで続けるものじゃありません。今時転職なんて珍しいことじゃないし,金を稼ぐ方法は会社勤めに限りません。本格的にダメになる前にその場から離れるという選択はベストでなくてもベターにはなり得るのではないかと思います。

 

ただ,離れる前に自分が何が苦手でストレスを感じるのかを理解しておくことは大事です。しんどいけど何がしんどいのかわからない状態は本当にきつい。それを理解していれば,次に何かを始めるときに行動の指針になるかもしれません。しんどい思いをしたのならその中からせめて何かを掴みましょう。

 

人間できることしかできませんし,体も一つしかありません。

 

人生の中で金に換えられないものって結構あります。

会社勤めはもう限界と感じている人は,目先のお金や世間体と健康や大切な人間関係。自分にとって本当に大切な方を選んでもらいたいと思います。

どうか悔いのない選択を。

 

 

生きづらさの正体④

何か忙しくて1年近く放っておいてしまいました。

なんとなく余裕もできたので,ブログを再開していきます。

 

生きづらさの正体④「普通がわからない」

 

世間が求める「普通」の基準は過去最高値を叩き出しています。

テクノロジーが進化して人間一人一人にできることが増えてきているので,それらを使いこなす能力を求められるのは仕方のないことなのかもしれませんが,それにしてもできなきゃいけないことが増えすぎな気がします。

 

できないことがあると「普通じゃない」「劣っている」というレッテルを貼られてしまうのですが,そもそも歩んできた道が違うのだからできることできないことに個人差はあって当然です。

自分にできることは相手もできて当然という考えなんでしょうか。傲慢なんだか謙虚なんだかわかりませんね。

 

人の数だけ「普通」はあります。僕は自分自身を普通じゃないと思っているので,人に「普通は~」と言わないようにしているのですが,日本にはこの「普通教」信者がたくさんいるみたいで,よく入信を迫られます。

そのたびに僕は「あぁ…自分が世界になっちゃった人だ…」と迷惑そうな顔をして距離を置きます。せめて「私はこう思う」って話ならちゃんと聞こうと思うんですけどね。

 

 若い人たちが生きづらさを感じている原因の一つとして,周囲の大人の考える「普通」と現代の環境のミスマッチが一役買っているように思えます。

右肩上がりの高成長の真っただ中にいた親たちの世代。

真面目にコツコツ頑張れば給料は自動的に上がっていくし,終身雇用で安定した暮らしが送れるという日本の歴史上初めて訪れた春の季節に身を置けた人たちです。

これは単に生まれた年代だけの話なので,良いも悪いもないのですが,そういう時代を生きてきた親世代と,生まれてこの方景気が良かったことがないという子ども世代では,価値観が違うことは理解してほしいですね。

 

現代社会もなかなかきつい。

薄給激務・長時間労働サービス残業の常態化・非正規雇用の爆発的増加・減り続ける手取り額・労働環境の悪さからくるハラスメントの横行・飛び交う自己責任論。労働の面だけで見ても,若者をとりまく社会環境はハッキリ悪いと言えます。安定という信仰は死にました。

それでも働いて,金を稼いで,生きていかなきゃいけない。しんどいに決まっています。

 

全部上の世代のせいだなんて言いません。僕らも僕らで変えていかなければならないことがたくさんあります。そのために戦うのは僕たち世代の責任です。

ただ,若い人には若い人なりの自分たちとは違った苦労がたくさんあるということを周囲の大人が理解してくれれば,何かが少し変わるのかもしれません。

その辺の歩み寄りからやっていきましょう。

 

 

 

 

 

 

働くことと職場ごとの文化について

生きづらさシリーズがまだ途中なんですが、とある相談から、働くということの難しさについていろいろ考えてみたんで、こちらにも書いてみようかと思います。

 

ひきこもり状態にある(あった)人たちからの相談で職場や周りの人間関係に馴染めないといったものがよくあります。

アルバイトをしてみたけど、どこも馴染めない。人間関係がうまくいかなくて長続きしないという問題です。

 

主な原因として、余裕のない職場環境や職種と本人の適正のミスマッチなどがあります。
職場は基本的に仕事をする場所ですから、仕事がうまくいかないと人間関係もうまくいきません。
本人が仕事ができて、職場環境にも余裕がある状態なら人間関係にも余裕があり、穏やかな人間関係が築けます。(ホワイト環境)

本人が仕事ができず、職場環境に余裕がない場合、人間関係も余裕がないギスギスしたものになりがちです。(ブラック環境)

 

しかし中にはホワイト環境でも上手くやれない人たちがいます。

いろいろな話を聞く中で僕なりに考えた結果、その人たちに共通して言えるのは「職場ごとの文化」を理解しなかった/嘗めていたということです。

 

職場には職場ごとの習慣や共通認識(普通や常識という概念)があり、それが文化として根付いています。
職場での人間関係をうまくやりたいのなら、その文化を理解し、受け入れ、「私はあなたたちと同じ文化を共有する仲間ですよ」という態度を示す必要があります。

 

非合理的で一円にもならないような文化かもしれません。

この非合理さには環境の良し悪しはあまり関係がありません。

どこでも大なり小なり非合理的で意味がわからないものです。

 

選択肢は「受け入れる」か「その職場を去る」しかありません。
「郷に入っては郷に従え」という言葉は、現代ではこの場面を最も強く表しています。

 

絶対にやってはいけないことは、茶番めいた気遣いや無駄な人間関係をやめて、仕事をするのに最低限必要なことだけをしようと「文化の非合理的な部分を否定する」ことです。

 

文化を受け入れず自分なりの合理性に基づいた振る舞いを選択した場合、ありとあらゆる不都合が降りかかる可能性があります。

嫌がらせとかそういうレベルじゃない犯罪的な悪意をぶつけられることもあります。
人は自分たちの文化を受け入れない異物を排除するのに抵抗はありません。歴史が証明しています。
人間は群れると本当に恐ろしいものになります。
覚えておいてください。

 

一見無駄で非合理的に見える文化も、それはそれで必要があるから存在しています。

 

職場は基本的に仕事をするための場所ですが、そこで働いている人たち全員が最初から同じ目標に向けて同じように仕事をしてきたわけではありません。
人それぞれ感情があり、考え方があり、能力差があります。

工場でパッケージされたような同じ規格の人間を大量に用意することができない以上、これは仕方のないことです。

そういったバラバラの規格の人たちをまとめて、同じ集団に属していると認識させ、会社の利益に向けたお互いの協力体制を持たせる(秩序を保つ)ために職場ごとの習慣や共通認識(文化)は存在します。

 

この文化は会社内の人間関係を企業利益に結びつけるためのものなので、感情をベースに作られています。それ故、非合理的であいまいなもの、決して明文化できないものです。
職場の文化を知るためには、周囲の人の言動や立ち居振舞いを観察しながら一つずつ学んでいくしかありません。
難しくて大変ですが、人の中で生きていくとはこういうことなのだと思います。

 

職場に馴染めなくて苦労している人ってたくさんいると思います。

既存の文化を受け入れるか、それとも起業などをして自ら文化を作る側に回るか。

悔いのない選択をしてもらいたいと思います。

 

借金玉先生がブログや著者でよく書いている「部族の掟」みたいな話になりましたが、僕もかつてこの文化を嘗めてかかって大怪我をした身です。「職場ごとの文化」って書いてある黒い棒でタコ殴りにされました。

思い出すと鉛玉を飲み込んだ様な重苦しい気分に今でもなります。

文化を受け入れることの大切さ、群れた人間の恐ろしさを学ぶには十分すぎる痛みでした。

 

でも、その痛みから学べたこともたくさんありました。僕自身の未熟さ、傲慢さにも気づくことができました。

あの強烈な痛みの記憶は、今となっては「嫌な思い出」くらいの感じで僕の中に収まってます。

これからも嫌な思いや痛みから学ぶことが続くのだと思います。

それもまぁ仕方ありません。痛い思いをするなら、せめてそこから何かを掴もうと思います。

大丈夫、生きてる限り次がある。

次はもっとうまくやろうと苦笑いで今日も生きます。

 

生きづらさの正体③

長く間が空いてしまいましたが、続けて書いていこうと思います。

 

③変化についていけない。

 

いい大学を出て大企業に入れば一生安泰といった人生モデルが通用しなくなってきています。

いい大学を出る=大企業や安定した会社に入れるという構図は今や崩れかけていますし、正社員の数も減っています。

派遣や非正規雇用といった不安定な雇用形態が幅をきかせている現代では、上記のようなレールに乗ること自体の難易度がかなり上がっています。

 

雇用情勢の不安定さは労働環境の悪さも表しています。薄給激務、サービス残業パワハラなどから心身の調子を崩し、休職・退職を余儀なくされる方もたくさんいます。

途切れてしまったキャリアを再構築する制度もありますが、基本的に自己責任で頑張ってくださいといった感じです。

 

時代背景、雇用情勢、労働環境、それらを加味しながら自分に合った働き方・生き方を探さなければいけない時代になりました。

 

でも、自分なりの働き方・生き方を探せと言われても、フリーランス・起業・ネットビジネスなど、そのどれもが今まで「リスクが高い」「収入が安定していない」などの理由で避けられていたもの。

「とにかく安定した仕事がいい」と刷り込まれてきた意識を急に変えるのはかなり勇気がいることです。

 

「自由な働き方」「自分らしい生き方」なんて親も先生も教えてくれていません。

どうすればいいかわからないから、厳しい労働環境に身を置くしかない。

今の状況から抜け出したい。でもどうすればいいかわからない。

先の見通しが立たないこの状態はとても苦しいものだと思います。

 

しかしですね、視点を変えれば現代は一番自由な時代でもあります。

物流、通信、情報端末の発展で昭和では考えられなかった新しい生き方・働き方が生まれています。

ネットせどりアフィリエイト・有料コンテンツなど在宅で出来る仕事もたくさんあります。

生活費を抑えるためにシェアハウスに住む。そこで知り合った人達と自分たちに出来ることでごくごく小さいビジネスを起こすなど、現代だからこそやれることは探せば結構あるものです。

 

そういったものを探す中で、既存の価値観、特にお金についての考えを見つめ直してみるのもありなんじゃないかなと思います。

お金についての考えに折り合いがつけば、視界は一気に開けますから。

 

現代は選択肢だけは無数にあります。自分なりのキャリアデザインを描いてみてはどうでしょうか?

 

今日のところはこんな感じです。

また長くなっちゃったなぁ…。

出来るだけ早く続きを書こうと思いますので、また見てやってください。よろしくお願いします。

 

 

 

 

生きづらさの正体②

前回に引き続き、生きづらさの正体について書いていこうと思います。

 

②情報過多

現代社会は情報が溢れています。

通信技術や端末がどんどん進化したおかけで、いつでもどこでも誰でも簡単に様々な情報にアクセスすることができるようになりました。情報収集にはとても便利な時代です。

 

しかし、便利故の弊害も出てきているように思えます。

 

多すぎる情報に人間がついていけていない状況があると思います。

世の中には様々な情報が溢れていますが、受け手である自分の体は一つしかないので、全ての情報を収集、活用することができません。

様々な情報の中からどれを採用し、実践していくかを決める「情報の取捨選択」をする必要があります。

 

この「情報の取捨選択」も生きづらさにつながるのではないかと思います。

 

取捨選択を行うためには、目の前にある情報を比較し、何となく検証し、採用する情報を選ぶ(決断をする)といったプロセスがあります。

この比較する、検証する、決断すると言った行為はストレスにつながると僕は考えています。

 

やや乱暴な言い方になりますが、僕は人間は基本的に考えたくない生き物だと思っています。

そして、考えたくない生き物人間にとって、考えることはストレスにつながると僕は思います。

 

例えば、先ほどの比較、検証、決断の話をしてみましょう。

 

情報を比較するには、それぞれの内容をしっかりと理解し、自分に必要なものはどれか考える必要があります。

 

検証するとは疑うということです。情報の中身を他の資料などを用いて精査し、確度を測るといった作業が必要になります。

 

決断するということは、その結果が悪いものになった場合、その責任は決断を下した人が負わなければなりません。

 

どれも大変な手間とプレッシャーがかかります。ストレスがかからないわけがありません。

 

比べるのも疑うのも嫌だ。誰かに自分にとってのベストを決めて欲しい。

決断の責任なんか負いたくない。良い結果や手柄だけ欲しい。

そう思うことは自然なことです。自然なことだから、良いも悪いもありません。

 

多すぎる情報は受け取り手に取捨選択を迫ってくる。その決断に人はストレスを感じ、生きづらさにつながる。

そういう話なんだと思います。

 

では、情報を遮断して生きるのがいいのかというとそれも違います。

便利は便利なんですから、うまく利用できるように適切な距離感を模索するのがいいんじゃないかと思います。

使えるものは使いましょう。便利さで言えば今が一番いい時代なんですから。

 

まだまだ続く感じです。

長くなりそうだなー

 

 

 

 

「生きづらさ」の正体①

職業柄いろんな人の相談にのったりするんですが、現代は「生きづらさ」を感じている人が多いように思えます。

 

僕のところに来る人は「ひきこもり」「ニート」またはその家族の人が多いんですが、彼らが抱える困難は個人の資質だけでなく、現代の「生きづらい」環境にも原因があるのではないかと僕は考えています。

 

では、具体的にどのように「生きづらい」のか。現代社会のどのようなところに「生きづらさ」を感じるのか、生きづらさの正体について僕なりの考えをまとめてみたいと思います。

 

①プレッシャーが強すぎる社会

世の中ヤバいが溢れています。

いい大学出ないとヤバい、大企業に就職しないとヤバい、正社員でないとヤバい、⚪歳までに結婚しないとヤバい、⚪歳までに子どもを作らないとヤバい、持ち家でないとヤバい、英語くらい話せないとヤバい、ダイエットしないとヤバい…などなど言われたい放題です。

 

ヤバいヤバいと強烈なプレッシャーをかけられて、人生の選択肢がとても狭められているように感じます。

 

基準(ヤバくないレベル)から外れてしまったら全て自己責任。

普通に生きてきたらそれぐらいできるでしょ、努力が足りないなどと言われる始末。

はっきり言って厳しい。息苦しい。

 

何故こんなにヤバいが溢れているのか。

強いプレッシャーをかけられているのか。

 

その理由は、プレッシャーをかけるとお金が儲かるからだと僕は思います。

 

人は現状に満足すると、あまりお金を使わなくなります。満ち足りているわけだから、当然です。

強いプレッシャーをかけて不安や焦りを感じさせると、人はそれらを補完するためにお金を使います。本来不要だった物を買ったり、実生活とは結び付かない習い事などを始めたりします。

 

不安を煽って物を売るのは商売の基本です。

 

いろんな所からやって来る「ヤバい」というプレッシャーは人にお金を使わせるためのものです。

 

もちろん必要だと思うものにはお金を使えばいいと思います。

けれど、ヤバいに流されてお金を使っても、きっと楽にはなれません。次のヤバいが来るだけです。

 

ヤバいっていうプレッシャーは、商業目的のものです。CM と変わりません。

基本的に聞き流せばいいんじゃないかと思います。

その中で、自分がいいと思ったものに出会えたなら、お金と時間を存分に使えばいい。

そういうものだと思います。

 

 

また長くなってしまいました。

今回はここまでにして、また何回かに分けて書いていこうと思います。

 

Twitterのひきこもり相談あるあるも何となく続いてますので、そちらも見てみてくださいね。