だるま日誌

広島県福山市でひきこもり,ニート支援の仕事をしてます。日々思うことや面白かった本についてなど書いてみます。

働くことと職場ごとの文化について

生きづらさシリーズがまだ途中なんですが、とある相談から、働くということの難しさについていろいろ考えてみたんで、こちらにも書いてみようかと思います。

 

ひきこもり状態にある(あった)人たちからの相談で職場や周りの人間関係に馴染めないといったものがよくあります。

アルバイトをしてみたけど、どこも馴染めない。人間関係がうまくいかなくて長続きしないという問題です。

 

主な原因として、余裕のない職場環境や職種と本人の適正のミスマッチなどがあります。
職場は基本的に仕事をする場所ですから、仕事がうまくいかないと人間関係もうまくいきません。
本人が仕事ができて、職場環境にも余裕がある状態なら人間関係にも余裕があり、穏やかな人間関係が築けます。(ホワイト環境)

本人が仕事ができず、職場環境に余裕がない場合、人間関係も余裕がないギスギスしたものになりがちです。(ブラック環境)

 

しかし中にはホワイト環境でも上手くやれない人たちがいます。

いろいろな話を聞く中で僕なりに考えた結果、その人たちに共通して言えるのは「職場ごとの文化」を理解しなかった/嘗めていたということです。

 

職場には職場ごとの習慣や共通認識(普通や常識という概念)があり、それが文化として根付いています。
職場での人間関係をうまくやりたいのなら、その文化を理解し、受け入れ、「私はあなたたちと同じ文化を共有する仲間ですよ」という態度を示す必要があります。

 

非合理的で一円にもならないような文化かもしれません。

この非合理さには環境の良し悪しはあまり関係がありません。

どこでも大なり小なり非合理的で意味がわからないものです。

 

選択肢は「受け入れる」か「その職場を去る」しかありません。
「郷に入っては郷に従え」という言葉は、現代ではこの場面を最も強く表しています。

 

絶対にやってはいけないことは、茶番めいた気遣いや無駄な人間関係をやめて、仕事をするのに最低限必要なことだけをしようと「文化の非合理的な部分を否定する」ことです。

 

文化を受け入れず自分なりの合理性に基づいた振る舞いを選択した場合、ありとあらゆる不都合が降りかかる可能性があります。

嫌がらせとかそういうレベルじゃない犯罪的な悪意をぶつけられることもあります。
人は自分たちの文化を受け入れない異物を排除するのに抵抗はありません。歴史が証明しています。
人間は群れると本当に恐ろしいものになります。
覚えておいてください。

 

一見無駄で非合理的に見える文化も、それはそれで必要があるから存在しています。

 

職場は基本的に仕事をするための場所ですが、そこで働いている人たち全員が最初から同じ目標に向けて同じように仕事をしてきたわけではありません。
人それぞれ感情があり、考え方があり、能力差があります。

工場でパッケージされたような同じ規格の人間を大量に用意することができない以上、これは仕方のないことです。

そういったバラバラの規格の人たちをまとめて、同じ集団に属していると認識させ、会社の利益に向けたお互いの協力体制を持たせる(秩序を保つ)ために職場ごとの習慣や共通認識(文化)は存在します。

 

この文化は会社内の人間関係を企業利益に結びつけるためのものなので、感情をベースに作られています。それ故、非合理的であいまいなもの、決して明文化できないものです。
職場の文化を知るためには、周囲の人の言動や立ち居振舞いを観察しながら一つずつ学んでいくしかありません。
難しくて大変ですが、人の中で生きていくとはこういうことなのだと思います。

 

職場に馴染めなくて苦労している人ってたくさんいると思います。

既存の文化を受け入れるか、それとも起業などをして自ら文化を作る側に回るか。

悔いのない選択をしてもらいたいと思います。

 

借金玉先生がブログや著者でよく書いている「部族の掟」みたいな話になりましたが、僕もかつてこの文化を嘗めてかかって大怪我をした身です。「職場ごとの文化」って書いてある黒い棒でタコ殴りにされました。

思い出すと鉛玉を飲み込んだ様な重苦しい気分に今でもなります。

文化を受け入れることの大切さ、群れた人間の恐ろしさを学ぶには十分すぎる痛みでした。

 

でも、その痛みから学べたこともたくさんありました。僕自身の未熟さ、傲慢さにも気づくことができました。

あの強烈な痛みの記憶は、今となっては「嫌な思い出」くらいの感じで僕の中に収まってます。

これからも嫌な思いや痛みから学ぶことが続くのだと思います。

それもまぁ仕方ありません。痛い思いをするなら、せめてそこから何かを掴もうと思います。

大丈夫、生きてる限り次がある。

次はもっとうまくやろうと苦笑いで今日も生きます。