だるま日誌

広島県福山市でひきこもり,ニート支援の仕事をしてます。日々思うことや面白かった本についてなど書いてみます。

生きづらさの正体②

前回に引き続き、生きづらさの正体について書いていこうと思います。

 

②情報過多

現代社会は情報が溢れています。

通信技術や端末がどんどん進化したおかけで、いつでもどこでも誰でも簡単に様々な情報にアクセスすることができるようになりました。情報収集にはとても便利な時代です。

 

しかし、便利故の弊害も出てきているように思えます。

 

多すぎる情報に人間がついていけていない状況があると思います。

世の中には様々な情報が溢れていますが、受け手である自分の体は一つしかないので、全ての情報を収集、活用することができません。

様々な情報の中からどれを採用し、実践していくかを決める「情報の取捨選択」をする必要があります。

 

この「情報の取捨選択」も生きづらさにつながるのではないかと思います。

 

取捨選択を行うためには、目の前にある情報を比較し、何となく検証し、採用する情報を選ぶ(決断をする)といったプロセスがあります。

この比較する、検証する、決断すると言った行為はストレスにつながると僕は考えています。

 

やや乱暴な言い方になりますが、僕は人間は基本的に考えたくない生き物だと思っています。

そして、考えたくない生き物人間にとって、考えることはストレスにつながると僕は思います。

 

例えば、先ほどの比較、検証、決断の話をしてみましょう。

 

情報を比較するには、それぞれの内容をしっかりと理解し、自分に必要なものはどれか考える必要があります。

 

検証するとは疑うということです。情報の中身を他の資料などを用いて精査し、確度を測るといった作業が必要になります。

 

決断するということは、その結果が悪いものになった場合、その責任は決断を下した人が負わなければなりません。

 

どれも大変な手間とプレッシャーがかかります。ストレスがかからないわけがありません。

 

比べるのも疑うのも嫌だ。誰かに自分にとってのベストを決めて欲しい。

決断の責任なんか負いたくない。良い結果や手柄だけ欲しい。

そう思うことは自然なことです。自然なことだから、良いも悪いもありません。

 

多すぎる情報は受け取り手に取捨選択を迫ってくる。その決断に人はストレスを感じ、生きづらさにつながる。

そういう話なんだと思います。

 

では、情報を遮断して生きるのがいいのかというとそれも違います。

便利は便利なんですから、うまく利用できるように適切な距離感を模索するのがいいんじゃないかと思います。

使えるものは使いましょう。便利さで言えば今が一番いい時代なんですから。

 

まだまだ続く感じです。

長くなりそうだなー